とはいえ、幸徳秋水を翻訳したユダヤ系フランス人女性と聞けば、
それだけで惹かれてしまうのは何故か?

無神論と理神論

2010年7月10日 日常
多様性のなかに存在の唯一性をみる。
ところがこれは簡単ではない/簡単かもしれない。

存在の背後に存在を認識するとき、すべての主語が存在となる。

「花が存在する」「テーブルが存在する」「コップが存在する」

のではなく、

「存在が花する」「存在がテーブルする」「存在がコップする」

そうして唯一性がいかに多様性に満ち溢れているかがわかる。

一神教の問題とは、神に限界を加えるという冒涜によって(つまり言葉だな)
そもそもの矛盾を孕んでいるのであって、
耐えざる偶像崇拝の忌避のみが、存在の唯一性を明かしてくれる。
そのとき、無神論は究極的な偶像崇拝の忌避の形態であるのだ。
そのとき、無神論は理神論の究極的な表現足りうる。

なんだ。

2010年6月16日 日常
隊商が率いる駱駝の背中の一角に座して大陸の端から端まで旅をし、そしてついでに内海を越える。手には記した書物を持たず、頭と心で数編の詩と解読方法を諳んじながら、目にする光、耳にする音、香しい香りの中に、唯一性の織りなすこの世のアヤを観る。

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